あれから2年・・・

解離性大動脈瘤」を患ってタイで緊急入院して手術をしてから早2年がたった。
そういやあのときはツイッターを始めたばかりだったし、このブログにもあまり詳細をのせなかったのであまり記録が残っていない・・・
そろそろ忘れかけてることもあるので何があったかを思い出してまとめておくことに・・・

  • 2009/09/20
    • 今は亡き(廃便)JL737でタイに行った夜、バンコクで20:30くらいから突然腹痛(胃痛)に襲われる・・・ただ今までの食あたりと似た感じでもあったので百草丸飲んで様子をみたが、痛みはひどくなる一方で一向にひかない・・・
  • 2009/09/21
    • 殆ど眠れないまま午後迎えの車でバンコクからシラチャに移動。
    • まったく痛みがひかないのでこれはちょっとヤバイと思い、エンドユーザー様にご紹介いただいてシラチャのパヤタイ病院へ駆け込むが、まず血圧測ったら上が270という状態・・・
    • 造影CTを撮る予定だったが、血圧が高すぎて造影剤が打てないとかで降圧剤の投与を数時間受ける。(この頃から薬のせいか、はたまた病院へ来た安心感か記憶が途切れ途切れに・・・)
    • 深夜22:00くらいにやっと血圧も下がり造影CTを撮ったが、ここで大動脈の内壁が50cmくらい裂けて偽腔に血液が溜まっている「解離性大動脈瘤」と判明。かなり危険な状態であることも・・・
      • 状態として大動脈乖離のStanford Bという状態で、血液がたまった瘤が5cmほどになっていたらしい
      • 腹痛は血液が内臓に行き渡らなかったためにおきていたとのこと。感覚的には胃が痛かっただけなのだが、肝臓と腎臓にも血液が十分に供給されてないため、機能がが保全されているかこの時点ではわからなかったようだ・・・
    • この状態ではこの病院では手の出しようがないとのことで、受け入れ先を探してもらったところバンコク病院に転送されることになった
  • 2009/09/22
    • 2:00くらいにバンコク病院の救急車で移送開始→5:00くらいに到着・・・
      • バンコク病院に到着して救急車の扉があいたときは記憶があるがそれ以外はまったく記憶がない・・・麻酔だったのか単に寝てただけなのかは不明だが痛いとか辛いとかは無かったように思う・・・
    • バンコク病院での検査後、手術に対する危険性などの説明を受ける・・・後遺症が残る確率50%、死亡率20%とか怖い数字を並べられたがこの「まな板の上の鯉」状態では承諾するより他は無い・・・
      • とはいえ「何とか日本に帰ってから手術できないか」などと最後のあがきはしてみたが、エンドユーザーさんに「命あってのモノダネですよ?」と言われてあきらめた・・・
      • 危険性の数字を日本に帰ってから親戚の医者にみせたところ、日本の医者ならもっと厳しい数字を出しただろうとのこと・・・これを聞かされたときに日本に生きて帰ってこれないと思ったとも言われた・・・
    • 9:00くらいにやっと自宅のカミさんに電話して緊急事態なことを伝える・・・
      • 意識が朦朧として思考が定まらないせいもあったが、「来なくていい。手術が終わったら電話する」と呑気にいったことだけは覚えているが、なんでそんなことを言ったのかはわからない・・・
      • このころこの病気の第一報が伝言ゲームの要領で「意識不明の重体」となってカミさんの実家に流れたものだからエライことになっていたらしい・・・
    • 11:00手術(大動脈の人工血管置換術)開始。 18:00ごろに終了。
      • 結局カミさんは自分の実家と相談した結果午後便でバンコクまでやってきたので、術後いったん麻酔から醒めた時に顔を見た記憶はある
  • 2009/09/23
    • CCU(Coronary Care Unit 冠状動脈疾患管理室)で朝には麻酔から完全にさめたはず・・・ただ呼吸器がのどにささってるので会話はできないため、医者やカミさんとも筆談でコミュニケーションをとっていてやっと自分が重病人だと思い知らされる。
  • 2009/09/25
    • 人工呼吸器離脱。これを抜くときが一番痛かった・・・
  • 2009/09/29
    • 一般病棟へ移動。
      • CCUのフロアと看護師のレベルがぜんぜん違うことに驚く・・・というよりCCUできびきび働くタイ人を見て驚いた・・・
  • 2009/10/04
    • 一応退院。ただ飛行機にのれる状態までリハビリが必要なのでそのまま院内のサービスアパートへ。
      • 10/5から10/11まではチケットの関係や保険手続きなどのためカミさんが帰国していたこともあって院内が安心だった
  • 2009/10/12
    • 大分体調も戻ってきて、カミさんも戻ってきたのでもう少し広い外のサービスアパート(スクムソイ41)に移動
      • 毎日タクシーでリハビリに通っていたがこの頃は結構まだ辛かった・・・
    • 10/21までは病院のリハビリセンターへ通っていたが、あとは独自リハビリ。
  • 2009/10/22
    • 帰国許可が出ないため気分転換にサービスアパートをスクムソイ11に変更
      • カミさんの暇つぶしや自分のリハビリに近くにあるアンバサダーホテルの鳥園は結構良かった・・・朝夕の鳴き声はうるさいけど・・・
  • 2009/10/30
    • 結局40日近くかかってようやく帰国
      • 空港内車椅子利用という条件でやっと帰国許可が出た・・・ただ空港内を車椅子で移動するのはやっぱり結構恥ずかしいものがあった・・・

と人生初めての入院・手術をタイでしてしまった顛末はこんなところ・・・
ただこう思い出していてもわかるが、一番ラクだったのは自分だったな・・・
まぁ多少痛かったりはしたものの基本的には寝てるだけで、エンドユーザーの担当さんなんて徹夜でバンコク移動まで付き合わせてしまったし、カミさんなんてかなり焦っただろうし・・・
本当に皆様にはご迷惑をおかけしたんだと改めて思う・・・


しかしこの2年はあっという間だったが、手術したこと自体ははるか昔に感じる・・・
大きな手術ではあったが、おかげさまで体調自体はほぼ手術前までに戻っており、2ヶ月毎の定期検診と投薬を除けば以前と変わらぬ生活に戻っている。
が、この病気の根本的な原因は動脈硬化・・・いわゆる生活習慣病といっていい。
自分の場合不規則な食事、睡眠に加えてたばこの吸いすぎを長年続けたことが原因といえる・・・
実際この半年後の2010/4にも急性心筋梗塞で入院してるし・・・
この先もいい加減な生活するとまた倒れて皆様に迷惑かけるので、しっかりケアしながら生きていかないとこの時にご迷惑かけた方々にとても顔向けできない・・・
ま、無茶せず頑張って生きていくとこにしよう・・・